『社畜』という言葉を何となく使うから『社畜』になるのでは?という話
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こんにちは。
飲食店自営のセイちゃんです。
会社勤めのイシちゃんと、仕事や生き方について話し合いをしながらブログを書いています。
「一生を棒にふるような仕事がしたい。」
2011年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」コピー賞
勤めのサラリーマン時代に目にして、一瞬心が奪われたキャッチコピーです。
先日ふと思い出しました。
ただ、このフレーズはきっと賛否両論あるかと思います。
人によっては『社畜』の一言で終わらせそうな人もいそうですが・・・。
『社畜』という言葉が嫌い
突然ですが、
セイちゃんは『社畜』という言葉が好きではありません。
理由はというと、
「メディアによって“流行らせられた”言葉で、かつ相手を見下した表現」
だからです。
ところで、『社畜』とはどういう意味があるんでしょうか?
wikipediaで見てみました。
社畜(しゃちく)とは、主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄したものである。「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。
まあ当然ながら他人に対して下に見て使う表現でした。
ちなみに、『忖度』という言葉も好きではありません。大嫌いです。
これも理由としては、ある一定の時までほとんど使われていなかったのに、世の中の至るところで急に使われ始めたからです。これもつくられて広められた感がとても気持ちが悪いです。
「みんなが使っているから、何となく使う。」ことへの違和感。
それが『社畜』につながるのでは?
「 “みんな”が使っている言葉を普通に使う。」
よく言えば世の中の流行に乗っているとも言えますが、悪く言えば”思考停止”(←これも誰かが作った流行りの言葉ではありますが。。。)ではないかと思っています。
何も考えずに、誰かが流行らせようと作為的に作ったものを無意識で使うこと。
これこそが『社畜』になっていく要因のひとつではないかと思っています。
自分でも気がつかない間に世の中のレールに乗っている状態。
自営をしているとサラリーマン時代には考えなくても良かったようなことまで、
考える必要が出てくるので余計にそう思うのかもしれませんが、
世の中には楽なように見せかけて実は思い通りの方向へ行かされている(生かされている)ようなことが、実はたくさんあると思います。(例えば税金面とか・・・。)
「何も考えないことへの慣れ」それがきっと『社畜』の始まりなのではないかと思っています。
『社畜』でもいいのでは?とも思っています。
自分がその状態を分かっていれば・・・
こんなことを書いてはきましたが、セイちゃんは元『社畜』です。
自他ともに認める『社畜』でした。
勤め時代の仕事内容自体は大好きでした。朝から晩まで職場にいました。
以前も書きましたが、時にはもうダメ(死・・・)だと思うこともありましたが。。。
それでも仕事自体は大好きでした。
独立するときには勤めの仕事を辞めるのもとても残念でした。
もし、独立してお店を持つという目標が無かったら今でもきっと『社畜』人生まっしぐらだったと思います。その目標があったからがんばれて今こうしてお店を持っていられるのだと思います。
もしかしたら、ギリギリ『社畜』ではなかったのかもしれません。
冒頭のキャッチコピーもそうですが、『社畜』と『仕事人』同じ自分の時間を仕事に費やすにしても、その差はおそらく自分の意志があるか無いかだけです。
そこに、自分の意志があるかないか。
最近ですが、「ライフワークバランス」がもてはやされて、
「自分の時間=仕事ではない時間」というように思われ過ぎているような気もします。
早く仕事を終わらせて帰ってもやりたいことが特に無いのでは、本当にはバランスが取れていないだろうし、仕事が充実していなければそれこそバランスがとれていないのでは?とも思います。
自営の立場だとそれこそ仕事一辺倒にもなりがちなので、気をつけないといけないのですが、
「一生を棒にふる仕事」
それだけ自分の好きなものに出会うことができれば、それはそれでとても幸せな人生だと思います。
なにはともあれ、
自分が楽しくて仕事をしているのか。
仕事が楽しいと思わされているのか。
仕事は楽しくないのか。
自分の今の仕事に対するポジションを自分の意志を持って常に確認することが大切かなと思っています。
「今、仕事楽しい?」
それではまた。