人と比べる生き方
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今日は最高の青空でした。
どうも、会社勤めのイシちゃんです。
ブログをスタートしてから1か月以上が経ちました、
我ながらよく続いています(^^;
今回、第6回目のテーマは
『人と比べる生き方』です。
唐突なんですが、
日常で些細なことに対して自分と他人を比較して、
落ち込むことってありませんか?
『あの人、自分より話すの上手いなぁ』
『あの人、しっかりしてるわ~。自分ダメだなぁ。』
こんな風に自分の中で他人と比べてしまうことが僕はよくあります。
他人と比較し、優劣が付くことに対してすごく敏感です。
自分が劣っている立場の時は嫌な気持ちになることも多いです。
人と比べるって嫌なことだなぁ....
そんなとき。
ふと、気づきました。
自分が劣っている立場の時は...
そうなんです!
人と比べるのが嫌なんじゃなくて、
人と比べて自分が劣っている時が嫌なんですよね。
学生時代のテスト。
自分の成績が良いときに張り出される順位表。
上位にいるときの気持ちがいいこと。笑
逆に自分の成績が悪いとき。
もちろん気持ち良くありません。
僕も様々な言い訳をして自分を正当化してきました。
『今回は範囲が苦手だっただけ』
『勉強以外が忙しかったから、今回は仕方ないな』
『ってか、勉強が人生において全てじゃないし』
完全にダメなやつですね。笑
そんな僕はある時期からこう思うことにしていました。
『他人と比較しない。自分は自分。』
大事な考えではありますが、
これって社会にいる限りとても難しいことだと思うんです。
会社や学校でも、人と接する限りは、
他人と比べたり、比べられたりすることって無限に出てきます。
なので、僕は他人と比べないって不可能なんだと思うようになりました。
全く他人と比べない境地まで、
達することが出来るのかもしれないですが、
僕はあまり必要性を感じません。
むしろ、人と比べないデメリットが多く生み出されると。
どういうデメリットがあるのでしょうか?
それは、
いい競争がなくなるということです。
『他人と比較しない』という気持ちが強かった時期は、
いま振り返ると、完全に自分は自分、他人は他人でした。
例えば、英語の語学学校に行っていたとき。
一つ年下の女性が朝5時に起きて、夜まで必死になって英語の勉強をしていました。
そのとき僕は
『彼女は彼女なりのペースがある。自分は自分のペースで少しづつ進めていこう』
彼女と自分を比べることに意味はないと感じていました。
ただ、僕みたいな意志の弱い人間は、
自分のペースという名のただのサボり時間を大量に作る結果となってしまいました。
当然、卒業時の彼女との英語力の差は歴然。
卒業の時に感じたのは、
彼女と自分を比べることから逃げなければ、
英語力を高めるという結果に向けて、
いい方向に働いたんだろうなということでした。
このエピソードの前に、
僕は『他人と比べること』から距離を取っていました。
しかし、今では自分と他人を進んで比べるべきなのではないか?と思っています。
ただルールをしっかりと作った上で。
ルール①
自分が本当に必要なものだけ比べる
こないだ僕の学生時代の友達が家を買いました。
その時に僕は心から『良かったね~』っていう言葉が出ていました。
それは僕が全然家を買いたいとか思わないからです。
自分にとって必要のないものだと、
自分と比較しても何にも悪い感情が出てきません。
比べられて嫌だなぁって思うものは、
自分も本当は必要としているものなんだと思います
ルール②
100%の力で取り組む
可能な限り、すべてのことに100%で取り組むこと。
そうすると、自分の持つ最大限の力なので結果がどうであれ、
他人と比べようがない状態になります。
ある意味、諦めがつきます。
もちろん、もっとこうすれば良かったかな?と反省や改善点を見出す必要はあります。
でも、その瞬間に自分が100%で考え、100%で行動したものなので、
バッドエンドであったとしても、他人の結果と比べたりすることは無意味に思えます。
最近はこんな経緯で積極的に人と比べるようにしています。
そして、自分が必要なものだと思えばその人から学ぶ。
他人と比べてみて、自分にとって納得いくような行動をする。
人と比べることを避けるのではなく、
これらを続けていったほうが自分にとって良い循環になると思っています。
勝手ながら、僕はセイちゃんと自分を比べるときがあります。
セイちゃんの話を聞くと、
『羨ましい!!自分ももっとワクワクすることしたい!!』っていう
気持ちにさせてくれます。
このブログもセイちゃんと自分を比べる楽しさがあったから始めたのかもしれません。
最後に...
去年、21歳の写真家の女性と出会う機会がありました。
彼女は自分の好きな仕事で、自分の好きな場所へ行き、自分の好きな人と過ごす。
そんな生活を現実にしているカッコいい女性でした。
彼女は自分の生き方をこう表現していました。
『人から見てカッコいいと思われる人間であり続けたい』
そこには人と比べてのカッコいい・カッコ悪いという優劣はなく。
自分らしく生きていくことはカッコいいことなんだという彼女の強い信念と、
自分らしく生きていけばいいんだよと彼女の周囲に勇気を与えていく言葉に感じました。
人それぞれカッコよさの定義は違います。
だから自分と他人の間に優劣を付けることはできません。
僕も毎日、自分のカッコ良さを追求していく人生を送っていきます。
Hasta Luego!!